自分の病気からオステオパシー⑦
さて、シリーズも7回目を迎えました
皆さま、ついてきていただけてますでしょうか?
それでは書いていきたいと思います
オステオパシーの国際セミナーに私は初めて参加しました
これまで、国内で行われるオステオパシーのテクニックを教えるセミナーには何度か参加した事はありましたが
海外のオステオパスによるセミナーは初めてだったので楽しみではありましたが不安もありました
セミナーの内容は詳しくお伝えする事はできませんが、参加して1番感じた事は
これは、オステオパシーの教育であるという事を感じました
これまで私が参加していたセミナー、勉強会は師匠、講師の先生のお手本をみて互いに練習する
初心者もベテランも同じように練習する
私は、これはある意味日本の伝統的なスタイルで、見て覚える見取り稽古なのだと思います
ここで多くの方々は長年セミナーに参加し続けている受講生が上手で、まだセミナーに参加して間もない受講生は下手だと考えると思います
私もずっとその様に思っていました
しかし私がこれまでオステオパシーの勉強を続けて来てわかったことは
長年セミナーに参加されている受講生は一連の流れがスムーズで手さばきが滑らかです
もう師匠、講師の先生と動きがそっくりなベテランの方もいます
しかし、同じ様な手さばきで施術しても師匠と同じような結果は現れません
何故でしょう?
私の答えはこうです
外側から見えている世界と、師匠がみている内側の景色は全くの別世界であるから
所詮は人のまねごとにすぎない、それはいつか見破られます
大事な事は外側を良く見せる事ではなく、内側に見える景色を観察する事
これが海外のオステオパスが教える教育的なオステオパシーと国内で行われているテクニックセミナーとの違いだと私は思います
特に国際セミナーで記憶に残っている講師の言葉を紹介します
オステオパシーのサザーランドテクニックのセミナーがありました
その時の講師はベルギーとカナダの先生でどちらも女性の先生でした
その時の内容はファンクショナルテクニック、私はどの様なやり方を教えてくれるのかその方法が知りたくてわくわくしていました。
私はパートナーの膝を両手で保持し関節をどの様に動かしたら良いのかをカナダの先生に尋ねました
すると、彼女は私の手の上からやさしく包み込むように触れこう言いました
あなたは何もしなくていいの、患者の身体がみずから動き方向性を与えてくれるからただ待ちなさい、幸せなきもちで
最後に彼女は私にこう言いました、「これが私の先生から教わった伝統的なオステオパシーよ」
それが、フランソワーズ先生との出会いです
もう一つ記憶に残っている言葉を紹介します
同じセミナーで今度はベルギーの先生の時に私はパートナーの足首を触っていたのですが
その時の感覚があまりよくわからなかったのでベルギーの先生を呼び質問しました
すると彼女も私の手の上からやさしく包み込み今手の中で起きている現象を詳しく説明しながら様々な角度から
アドバイスをしてくれました
そして彼女もまたこう言いました、「オステオパシーの教育は伝統的に手と手を介して伝わってきたの、私もこうして教わってきたのよ」
これがベロニク先生との出会いです
この出来事によって私は何かをみつけたような感覚になり治療家としての軸が出来たのだと確信しました
その後私は本格的に教育的オステオパシーを学ぶべく、5年間のオステオパシー教育1600時間以上のオステオパシー教育を受け
1次試験 オステオパシーの哲学論文「支点の先にある静寂に生命の本質がある」
2次試験 オステオパシーの筆記試験
最終試験 実技試験すべて合格し卒業する事が出来ました。
この学校で私が1番影響を受けたのがオステオパシーの哲学の授業です
この先生の授業は1番大変でしたが、その分とても良い経験をさせて頂きました
その内容はまた別な機会に紹介したいと思いますが
オステオパシーの哲学が私の人生観を大きく変えてくれた事に変わりはありません
自分が腎不全になり、これまで沢山の治療法を模索し必死にもがき苦しんだ経験があったからこそ
オステオパシーの哲学は私の心にダイレクトに響きました
病気というものに対する自分の考え方が、病気をする前の自分と大きく変化し今の自分があります
次のブログかこのシリーズの最後になると思います
これまでの経緯を踏まえて、病気をする前の自分とオステオパシーの哲学を学んだあとの自分の変化をまとめたいと思います
それでは次回の最終回を楽しみにお待ちください
ありがとうございました。
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