自分の病気からオステオパシー⑥
最近、患者さんからこのシリーズを楽しみにしているという声を頂き本当にありがたく思っています。
さて、これからが私が皆さんにお伝えした本当の内容になっていきます
お陰様で、腎臓移植を終え私は再び元の治療院で働かせて頂く事となりました
その治療院にお世話になって約9年働かせて頂き
そろそろ独立を考えていた時期でもありました
その当時から指圧しか知らない私でしたので、どこかでもう少し骨や関節の触診や診察方法を学びたいといった考えを持っていました
そんな時に当時一緒に働いていた先輩からオステオパシーの事を聞かされ
なんかすごくわくわくした気持ちになり、どんどん話を聞いていくうちに
1度治療を受けてみたくなりその先生を紹介してもらい治療を受けに行きました
それが、日本を代表するオステオパス、福島の故斎藤巳乗先生との出会いでした。
初めて治療を受けた時の感想は、ただ背骨に沿って手をあて下から上へ何往復かしてといった流れで治療が進んでいき、いつの間にか終わっている
最初の問診もなければ終わった後の説明もあまりなく
これで良くなったのかな?というのが正直な感想でした
しかし、治療室から駐車場に戻り車に乗った時、明らかに自分の姿勢が楽になっている事を感じ、あんな軽い力で身体が変化した事に驚き、念力が使える達人だと思いましたね(笑)
それから私のオステオパシーに対する熱量がどんどん増していき
将来は自分もあんな風な達人になりたいと考え
9年間お世話になった治療院をやめ治療家として自分の道を歩むために独立し精進する事を決意したのです
独立して間もない頃は、指圧治療を行いながら毎月オステオパシーの講習会に参加し、少しずつオステオパシーのテクニックを身に着け、ある程度出来るようになったら指圧治療にオステオパシーを取り入れるスタイルを行っていました
しかし、ここで私は治療家としての葛藤が生まれ始めるのです
これから述べる事は私の指圧の技術、理解、考えが足りなかったことによるものなので誤解して欲しくないのですが
当時の私の指圧に対する考えは「慰安目的」
それに対してオステオパシーは「治療目的」
今現在はその様な考え方はしていませんが、当時はその様に考えていました
例えば、患者さんの訴える症状に対してこれは指圧ではなく関節を緩めてあげたほうが良いと思うと私の治療家魂が「治してあげたい」と言ってくるわけです
すると、指圧は少しにしてオステオパシーの関節を緩めるテクニックを5分ほど行い治療終了とするわけです
これまで40分近く指圧を行いその目的で患者さんも来ているわけです
これ、これから先どうなるか皆さん考えなくてもわかりますよね?
そう、最終的に私は指圧目的で来てくれていた患者さん全てを失ったんです
それが私のオステオパシー人生のスタートです
私は、思い立ったら後先考えずに行動しちゃうんです
ただそんな私にも当時やり始めたばかりのオステオパシーに興味を持って下さる患者さんが何人か通ってくださり本当に助けられました
しかしここから更に激動のオステオパシー人生が待っていたのです
いつもなら、この辺でこの続きは次回となるのですが
今日はタイドがもう少しかけと言っているので続けます💦
先ほども言いましたが、私は毎月オステオパシーの講習会で故斎藤巳乗先生が考案された「誇張法」というテクニックを勉強していました。
その勉強会で、海外からオステオパスが日本に来てセミナーを行うからどうですかと?案内がありました
当時の私は斎藤先生が世界でもトップクラスのオステオパスだと思っていたので正直お金も結構かかるセミナーだったこともあり参加を見送りました(斎藤先生が世界でもトップクラスの先生であったことはオステオパシーを勉強すればするほど理解でき確信に変わりました)
再びオステオパシー講習会に参加した時に、その海外のオステオパスの評判がとても良く参加された先生方がお勧めしていた事もあり
次から東京で行われる国際セミナーに参加する事を決めたのです
しかし、これが私をオステオパスとしてとてつもなく成長させてくれると同時に苦しみもがき試練の始まりとなるのです
この続きは次回という事で・・・
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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